UBE/UBE株式会社

REPORT vol.7
UBEの歴史/120年にわたる創業の
精神と挑戦の物語

創業の精神が、未来をつくるUBEが受け継いできた挑戦のDNA
01

なぜUBEは 化学工業へ進んだのか 宇部という土地が育んだ創業の精神

すべては、限られた資源と向き合うことから始まりました。

現在の山口県宇部市は、近代的な工業都市の一つとして発展を続けています。しかし、その歩みは恵まれた条件の中から始まったものではありません。
かつての宇部は、松林に囲まれた寒村でした。地下には石炭が眠っていたものの、その品質は発熱量が3,500カロリー前後と低く、灰分の成分も多い「低品位炭」と呼ばれるもの。ほかの産炭地と比べても燃料としての扱いが難しく、決して有利な資源ではありませんでした。
さらに、採炭の現場は海底を掘り進める「海底炭鉱」。湧水や落盤の危険と隣り合わせの過酷な環境でも、宇部の人々は石炭を掘り続けました。

大正10年(1921年)、海と隣り合わせの立地に広がる第二沖ノ山炭鉱。海底へ向かって採掘が進められていきました。

しかし、どれほど苦労しても、石炭はいつか必ず掘り尽くされる有限の資源です。たとえ炭鉱が栄えても、それが未来永劫続くことはありません。この現実に強い危機感を抱いたのが、UBE初代社長・渡辺祐策翁をはじめとする先人たちでした。
「石炭を掘り尽くすときが来るが、宇部の地域社会がこれと運命を共にしないよう、永続性のある工業を興しておかなければならない」
この切実な想いから生まれたのが、UBEの創業の精神である「有限の鉱業から無限の工業へ」という理念です。限りある資源を掘るだけではなく、その資源を足がかりに新たな産業を見出し、持続的に価値を生み出す工業へと発展させる・・・・・・。その挑戦こそが、のちのUBE発展の原動力となりました。

大正5年(1916年)、宇部の発展を支えた炭鉱労働の現場

企業と地域が歩調を
合わせて
発展するという
「共存同栄」の考え

先人たちは、企業の繁栄のみを目指したのではありません。道路や港湾などの社会基盤を整え、教育や医療の充実にも力を注ぎながら、企業と地域が歩調を合わせて発展していくことを重視しました。
この「共存同栄」の考え方もまた、もう1つの創業の精神として今も受け継がれています。
厳しい自然条件や資源の制約を乗り越えようとした挑戦。そして、地域と未来を見据えた志。その積み重ねこそがUBEのDNAとなり、今日へと受け継がれる挑戦の原点となっています。
02

社会課題を 化学の力で解決する 硫安事業への挑戦

宇部の先人たちが次に挑んだのは、宇部炭を活かした化学肥料「硫安(硫酸アンモニウム)」の製造でした。
その背景にあったのは、社会が抱える大きな課題です。昭和初期、日本の基幹産業であった農業では、農作物の安定生産に欠かせない化学肥料不足が深刻化していました。この課題解決に貢献するため、宇部で産出する石炭を活用し、硫安肥料を製造する化学工業への進出を決断したのです。

昭和9年(1934年)、できたばかりの硫安を担ぎ出している様子。当時は手作業で袋詰めにしていました。

しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
先ほども述べたように、宇部の石炭は低品位炭であり、「化学工業の原料には適さない」という懐疑的な意見が大半を占めていたのです。実際の記録でも、宇部炭を原料とする試みに対して、
「低品位の非粘結炭は原料としては使えないとの忠告がきた。業界全般にそのような意見が主流であった」と記されています。

それでも、先人たちは可能性を信じ、挑戦をあきらめませんでした。
国内外の技術や知見を積極的に導入しながら試験と改良を重ね、低品位の石炭から生み出されるガスを活用するなど、新たな技術を取り入れながら硫安工場の建設を進めていきます。工場の稼働後も、ガス炉内部に石炭灰が固着する〝クリンカー〟をはじめとする技術的な課題も発生しましたが、現場で改善を積み重ねながら一つひとつ克服していきました。既存の常識にとらわれることなく、一歩ずつ化学工業への道を切り拓いていったのです。

地域への誇りと、
柔軟に学び続ける姿勢

もう一つ、この挑戦を語る上で欠かせないのが、柔軟に学ぶ姿勢です。
当時の宇部には、「宇部の事業は宇部の人の手と資本で」という自前主義の伝統がありました。しかし、最先端の化学工業を実現するためには、自分たちだけの力では乗り越えられない課題もありました。
そこで先人たちは、地域への誇りを大切にしながらも、必要な知識や技術は柔軟に学び取り入れていきました。その姿勢が、化学工業への転換を成功へと導いたのです。
こうして始まった硫安事業は、社会課題の解決に貢献するとともに、UBEが化学工業へと歩みを進める大きな転換点となりました。
そして何より、硫安事業は「有限の鉱業から無限の工業へ」という創業の精神を事業として形にした、UBEの挑戦だったのです。
03

創業の精神は受け継がれる パーパス 「希望ある化学で、難題を打ち破る。」へ

創業の精神は、今も未来を切り拓く力であり続けています。

硫安事業への挑戦は、石炭を掘るだけの企業から、新たな価値を生み出す化学工業へと飛躍する大きな契機となりました。
その後は、社会基盤の整備をはじめ、地域社会とともに発展するまちづくりにも取り組んでいきました。企業の発展は、地域の発展とともにある・・・・・・この「共存同栄」の考え方は、時代が移り変わった今も、UBEの大切な価値観として受け継がれています。
それから社会は大きく変化し、現在は、人々の暮らしや産業を取り巻く環境も大きく変わりました。UBEもまた、時代ごとの社会課題やお客様のニーズと向き合いながら、新たな事業や技術への挑戦を続けてきました。

事業の姿が変わっても、創業の精神は変わることはありません。
地域の未来を見据えた先人たちの志は、現在のUBEが掲げるパーパス「希望ある化学で、難題を打ち破る。」へと受け継がれています。

120年以上にわたる挑戦の積み重ねによって発展した、現在の宇部地区

未来は、
たたいた扉の先にある

その挑戦を支える考え方が、「ドアノック」です。
自ら社会や顧客の課題に真摯に向き合い、新しい可能性の扉をたたく。その行動の積み重ねが、新たな技術や製品を生み出し、社会に新しい価値を届ける原動力になります。
振り返れば、宇部の先人たちもまた、当時の常識にとらわれることなく、自ら未来への扉をたたき続けました。低品位炭だからできない、地方の小さな炭鉱町には難しい・・・・・・そうした声に屈することなく、挑戦を重ねた先に、今日のUBEがあります。
創業の精神とは、過去の歴史を語るための言葉ではありません。
それは、変化を恐れず、社会課題に向き合い、新しい価値を創り続けようとする、一人ひとりの挑戦を支える指針です。
宇部という土地で育まれたその志は、120年以上の時を超え、これからも未来への扉をたたき続けるUBEの力となっています。

次回は
「リサイクルコンポジット」の
パーパス体現に迫ります

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